1964年「シベリア」NHK特別報道班
子供のころに世界地図を見て、この大きな空白地帯には人も住まないんだろうなぁ、すごいなぁ地球って、と思っていた地域がいくつかあって、その一つが、シベリア。それ以降、そこが本当はどうなってるのかをきちんと考えたり知ろうとすることもなく大人になったけれど、とんだ無知の間違いロマンチストでした。シベリアにはちゃんと都市があり、学校にいったり、働いたりして、ごくごく普通に人が暮らしていることを、今では理解しています。
この本は1964年、今から56年前にNHK特別報道班による、イルクーツク、ヤクーツク、バイカル工業地帯、ブラーツク、ウラン・ウデ、ハバロフスクからナホトカ、カラフトとシベリアと長期取材したルポルタージュ。たぶん、この当時はテレビ番組になったのでしょうが、私は生まれる前なので、見ていません。
時代としてはバリバリのソ連時代、フルチショフ解任直前です。その時代に、よくこんなにあちこち取材したなあ、というのが、率直な感想です。報道に冒険とロマンがあった時代というのでしょうか。
当時のシベリアは、政策により開発が進み、アルミニウムの生産増大、巨大な水力発電所が作られ、シベリア鉄道の電化など未来は明るいという時代。でも、そこで暮らす人たちのお給料水準も高いらしい(政策的に。そして取材は指定先なので)。そしてあちらこちらにひっそりと日本人抑留者の方の墓地があり、ホテルではロシア人スタッフにやたらウォトカの一気飲みを勧められる…。
なんというのか、そんなシベリアの風物は興味深いけれど、それに加えて60年代の日本人って本当に面白いなあと思うのです。戦争に負けて20年という時間が長いのか短いのか。自分にとって20年前って、ついこの前くらいの感覚なんですが。とにかく戦後20年でシベリアに取材に出かけて、語学もでき、ソ連のお役人となんだかんだと交渉して、あくまでもバカにされんぞ!という姿勢を示す。なんとなくカラ元気かな?とも思える上から目線のルポを繰り広げ、ただし、この取材チームは酒に弱くて苦労する(笑)。
このころの日本人が、かっこいいというイメージはあまりないと思うのですが、私、けっこう60年代に海外に出た日本人のファンなんです。この3人もけっこうかっこいいなぁ、ちょっと無防備にありのままをさらけだしているような生命力があるなぁ。
この本は、友人の叔父様(故人)の書斎の本棚からお借りしました。この叔父様も、たぶん同年代の、都会のインテリ自由人だった様子。
以前は、昔は不自由で貧、今は自由で豊かって時間は流れていると思ってたけど、そうとも限らないのね、と実分かってきたこの頃です。遅い?
真夏の伊勢神宮へ
8月4日、東海地方が気温40℃という歴史的な猛暑におそわれた日、名古屋出張の翌日を使って伊勢神宮へいった。
確かに熱暑だ。でも午前中のこともあり外宮でも内宮でも、御神域にいる間は思ったほどでもない。森パワーだ。またほとんど混雑感もなし。参拝後におかげ横町あたりをウロウロして、赤福を食べた後の午後1時くらいは、さすがにクラクラしたけど。
細かいことは省いて驚いたこと。お参りしているうちに「私の宗教、仏教というより神道なんだな、きっと」と、ぼわーっとした気持ちがわいてきた。
木とか、山とか、風とか、ご先祖様とかなら、特に難しいことなく有難いと思えるし、守ってもらえそうな気がする。これって、つまり神道ではと。
伊勢神宮の立地も、後ろに山があるちょっとした平地で、川が流れて森があって、ずーっと行くと海がある気配もあり、日本人が最大に心落ち着く配置。「ココがいいです!」と神さまが自分で選んだそうですが、そこにも納得感。
伊勢神宮の遷宮は知っていましたが、正宮だけでなくて、別宮も全部、隣にお引越し用の敷地を持っている。なにかとてもキチンとして、律儀だ。
私の行った日は、内宮の別宮「風日祈宮」(かざひのみのみや)の祭日だそうだ。で、もう1日は五月十四日、私の誕生日!あらら、縁があるなと思ったら、この神様は風雨の神様で、元寇のときに日本を守ったそう。元寇…モンゴル…に強かったんですね。なんとなく、これは私が頼りにしたい神様です。偶然というか縁というのはすごいものです。
そんなこんなで。今までしたことのなかった昇殿ご祈祷を受けてみた。あっさり清々しく祝詞は平易で分かりやすい。
参拝後の赤福は、たった数百円で、風のとおる畳敷きの広間でたっぷり休ませてくれて、お茶もついでくれる。ありがたい。
そして、なぜかお土産ものやさんを見ていると、モンゴルの塩が出現する。
分かったから。もう流れに逆らわないから。日本人だし、モンゴルに縁あるし。
と、暑さにボーっとしながら、すごく納得した伊勢神宮参拝でした。
「バレエ・アステラス」と「世界バレエフェス」
しばらく前ですが、7月27日に、世界バレエフェスの全幕特別プロ「ドン・キホーテ」を鑑賞。
バジルのマチアス・エイマンは、バジルにドンピシャじゃないけど、フワッとエレガントに脚線美まで見せるジャンプにうっとり。ミリアム・ウルド=ブラームのキトリは可愛らしく、でもキッチリと踊り込む。パッセだけで魅せるバリエーションや、グランフェッテはたぶんあえてシングルで、ゆーっくり開く脚を見せてクルッと振り返る、いままで見たことのないリズムの32回転。やっぱりオペラ座すごい!という感服感あり。
ほかはキューピッドの足立真理亜さんと、吉川留衣さんの第1バリエーションは、とても良かった。どちらもキビキビ生き生きと印象に残る。
が、その他は全体にどこがダメじゃないんだけど、なんとなーくモヤっと薄いベールがかかったような印象。
翌日に新国立劇場の「バレエ・アステラス」。昨日のチケットの約半分のお値段。が、これがよかった!感動というより、面白かった。海外のバレエ団で踊る日本人ダンサーが、「見て!この私たちの踊りを見て!」と、競い合いながら熱っぽく踊る。
ノーザンバレエの宮田彩未さんペアの「夏の夜の夢」はアクロバティックかつ詩的。バーミンガム・ロイヤルの水谷実喜さんペアのサタネラは、飛ぶ跳ぶ回るのハツラツっぷり。ロミジュリのアクリ瑠嘉くん、ジゼルの千野円句くんは、たぶん少し背伸びの憧れ演目を踊る張り切りが清々しい。
トリのロイヤルバレエのプリンシパル、高田茜さん平野亮一さんはのジュビリーパドドゥは、やっぱり世界基準はこれだよねーという、難しいことがまったく難しく見えないドヤ感ありました。
そして、フィナーレの時とか、みんな若手が高田さん平野さんを意識してる感じもありあり。そうだよねー。若者なら平野に見てほしい、感想とかもらえるようにアピールしたいよね。目標だもんね。
新国立劇場バレエ団研修所の演目も含め、そうか私が舞台で見たいのは、この熱い感じ、緊張感、やる気に満ちたアピール感、プライド感なんだなあと、一人納得しました。
たぶんドンキの東京バレエ団には、それが出てなかった。どこかで「はい、私たちは無難に周りを固めます」という雰囲気を感じてしまったのかも。
舞台芸術って、その時その場にしかない、言葉にもできない何かに感動するもの。それを100回中100回出すのは難しいことでしょうけれど…。
私としては、この連日の鑑賞で自分が観たいものが明確になったのは、この夏の大収穫です。
「万引き家族」
300人くらい入る劇場で、平日夜9時からの回を30人くらいの観客でみた。
面白い?と聞かれて、面白いよとさらっとは言えない。集中して2時間、昨夜見て、今もモヤモヤとあれこれを考えている。たぶん3日後もモヤモヤ考えていそうな映画。
このシンドイ映画を若いカップルが何組も見ている。カンヌ映画祭のパワーはすごいし、「万引き家族」というタイトルも秀逸なのだと思う。
モヤモヤ思うのは、あの家族と私は、そんなに遠くにいないという感じ。私よりさらに遠くにいるはずの海外セレブたちも、これは自分たちの近くにある映画だと強く思うというようなコメントをしていた。
世界は広くて多様だけど、その多様性なんて壁1枚なのかもしれない。壁なんて厚さもなくて、あの家族が住んでたボロ家の、破れた襖1枚、庭との間のガラス戸1枚くらいかも。真っ当と言われることと、それはおかしいと言われることも、そのくらいの仕切りしかないのかも。
トウモロコシ食べたいなぁと思いながら、またモヤモヤと思い出しています。
新潟のちまき、東京のちまき
私が子供のころから食べていたチマキ。大きな笹の葉で包まれた三角、中華ちまきと同じ形だけど、笹はみどり色。
中身は、味付けのない、もち米。ゆでで、冷ましてあり、むいて、砂糖きなこの中にまぶして、食べる。ご飯がわりのボリュームがある。笹だんごと同じ時期に作ってたべるから、よく「笹だんごとちまき、どっちが好き?」という話をした。私はちまき派です。
東京にきて、東京のちまきの形を見るたびに、これは、「粽」という別な食べものの気がして。上京して35年、食べたことなかった。
今年、よく買う西荻窪の和菓子屋さん「喜田屋」に寄ったとき、おかあさん(おばあちゃん)が、「東京のちまき、食べたことある?これ、うちで作ってるの。仕入れると5本セットになっちゃうけど、うちで作ると1本でも売れるし。作るのは面倒なんだけどね。東京のちまきは、中はういろうよ」と、強力プッシュ。「ういろう、食べたことある?」 はい、名古屋土産で…。「名古屋のは、私は嫌いよ」。ここまで押されたら、買わない訳にも。
2本をまとめているのは、フツーのビニールテープ。いい感じ。
中身は、少しやわらかめのういろうでした。お皿に出して切って食べるのか、かぶりついていいのか?味も これしか食べたことがないので、スタンダードなのかどうかは分かりませんが、素朴な味だった。
笹にくるんだお菓子、いいなあ。笹飴も、食べたくなったなあ。
『あんこの本』(姜 尚美)
どうも私は洋菓子より和菓子が好きなんだなと自覚したのは、わりと最近です。
姜 尚美さんの、あんこルポルタージュ『あんこの本』(文春文庫)。前半は、あんこの美味しいお店を訪ね歩く。そして後半では、あんこの歴史やら、海外探訪やら。あんこってアジア全体にあるのかと思ってましたが、小豆のあんこは、かなり日本独自のものなのだと、知りました。
各お店のあんこ、味やにおいは想像するしかないのですが、その色が、多彩で美しくて、食べたくてたまらなくなります。
そう、あんこの色は黒や茶色ではないのよ。臙脂の赤や、葡萄紫や、薄墨色や。ほかの国の言葉では表現できない素敵な日本の色。
著書の姜さん、作る人やお店を営む人、学者の先輩たちに、しっかりと敬意をはらっていることが文章ににじみ出られてて、とても気持ちよく読めました。
いつかおばあさんになったら、ウランバートルでちょっとした和菓子やさんを、一年の半分くらい、したいんだけど、と言ったら『あんことお餅はムリ〜』と、モンゴル人のお嬢さんやらお姉さんやらに、あっさり言われました。まあ、私も作れるわけではないのですから、いいんですが。夢、夢ですね。
『日日是好日』(森下典子・新潮文庫)
中学生のころ父が買う「週刊朝日」に、女子大生ながら体験レボートを連載していた(ような気がする)、森下典子さん。茶道の本を書いたというのは知ってはいました。
『日々是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』
文庫化されたのを見てふと手に取ったのは、なにか軽いリラックスできるものが読みたかったから。
確かにさらっと読める本でしたが、ちょうど今の私のために書かれたような本だったのです。こういうのを、なんて言うのか。偶然の出会いなのに、何かに導かれているようなこと。
お茶のお稽古で、森下さんが長い時間をかけて自分に沁みさせていくことは、過ぎてしまったことに立ち止まらずに、しがみつかずに、気持ちを切り替えて、今、目の前のことをすること。「今」に気持ちを集中すること。お釜の前に座ったら、ちゃんと心も身体も、お釜の前にいること。頭で考えて覚えるのではなく、繰り返し続けてきた身体を信じること。
これから先、私がお茶を習うことはないでしょう。でも私も、いま、身のあるところに心もちゃんといれるようになりたい。目の前のものをしっかりと見ることができるようになりたい。理屈のフィルターを通さずにやるべきことを決めていくことができるようになりたいと思います。今年この本を読んで、よかった。